家元制の値段の秘密

 

外国人の生徒さんに、名取は50万円かかる、と言ったら
「何故そんなに高いのか?」
と聞かれて、悪い事をしているわけでもないのに、答えられなかったことに端を発し、ここに家元制が批判を受けながらも存続している秘密、家元制のメリットを解き明かそうと思います。

まず大前提として
著者プロフィール

小山貢山

津軽三味線は小山流師範。
沖縄三線では琉球民謡コンクール新人賞。
茶道では小習入門の伝・
合気道は二段。

気づかないかもしれせんが、これ、全て家元制です。師範になると弟子が出せる。そういうシステムです。
日本文化に関わり、数々の家元システム、家元システムと社会の関わりを見てきました。それぞれの芸能の家元から直接話を聞いてきました。


津軽三味線での家元制は真似事に過ぎない。という批判や、

何故敷居を高くしてしまうのか、

最悪の場合は

「家元制は保守の権化」

とまで言われたことがあります。

家元制は、所属していない人には、非常に非効率的で逆に普及を妨げるものにしか見えないのかもしれませんが、

それでも家元制が普及するのには理由があります。

家元制は伝承形態の一つ。

芸の伝承形態としては

他にも民俗芸能や、寺に伝わる芸能、お上が伝承する雅楽などの形態があります。

家元制のメリットとしては「芸の形がそのまま残る」こと。

民俗芸能では芸が変わってしまうというデメリットがあります。

お上が伝承する雅楽は割合とそのまま残っていますが、民間で型通り伝承するには

家元制はメリットがあるのです。

どう弾いてもいい、何を弾いてもいい

というのは文化ではありません。

外国で和楽器をやる方は伝統的なものに価値を見出し、

和楽器でカバー曲や現代的アプローチを

する人はいません。

そんなことをするならギター、フルートでやればいいだけの話だからです。

これから商形態としての家元制の話をします。

カルチャーセンター、音楽教室は、

講師配分比率は高くても月謝の4割が普通。 

一番長くやってたところは、貰える金額は悪くないものの、

全く体験レッスンがゼロになり、自宅の方は体験がたくさん来ていたので、退任しました。

生徒はたくさん来ても時給換算800円のところ、

土曜日つぶれて千葉まで行って 交通費さえ出ない 、

とか、音楽教室・カルチャーは大変なところです。

家元制が敷居が高いという「イメージ」から、そういうところに人が集まるワケですが、

カルチャー・音楽教室の日本文化先生はほとんどが「家元制に属している先生」。

別に家元制に所属してる先生だから正座だとか、厳しいワケではなくて、

中身は同じなんです。

単純に「家元制は高い」「厳しい」という 

「イメージ」を壊したことが成功の秘訣でその意味では評価できると思いますが

実際はそういう音楽教室の方が、講師配分分の上に、

広告費やスタッフの人件費、施設代も上乗せされてるので、総額払う分の金額は高いのです。

茶道の家元先生が、「カルチャーセンターは文化の破壊者」

とおっしゃっていましたが、

薄給にあえぎながら、巨大資本による宣伝効果で、頼らざるを得ない状況が、日本文化の中にあるワケです。

芸術というのは、お金をかけないといいものが出来ません。

先生が食えなくて、バイトしてるような業界には誰も入って来ません。




家元制批判者の中にも武道好きの方がいらっしゃって、気づいていない人も多いようですが、武道は大きいところはたいていが世襲制の創始者一族が、免状を与える制度、つまりは家元制。


私も合気道を15年以上やっていますが、「道主は家元」とはっきり本部師範がおっしゃってました。

武道はグループレッスンなので、6段でも8万程度〜と安くなります。

しかし同じ免状制なのに、芸能だけ批判され、武道は批判されないのは何故でしょうか?

武道は家元制という言葉を使わないから嫌悪感が低いだけで、同じものであることに気づいていないだけなのです。


敷居が高いから普及しないんだ!敷居を低くしよう!

というのは良くある論調ですが、

敷居を低くする→講師、演奏収入の減少→文化の担い手の減少→習う所、演奏家が減る→文化の衰退

音楽教室やカルチャーセンター、 こそが、文化を破壊する要素のあるものであって、家元制は、文化を守っているものである。

という事実に、日本人も気づくべきでしょう。


それでも何故家元制を批判する人

が多いのか。

だったら最初から 入らなければいいではないかと思うわけですが、

それには理由があります。

家元制は優れた先生を沢山生み出してきたわけです。

そりゃそうです、ずっとそれを専業に出来るわけですから、教えるのが上手くなるんです。

奏者とは別のスキルなんです。

ですから 「たまたま入ったところが殆ど家元制」

なんです。

中には勘違いする方もいらっしゃり誤解を生む場合もありますが、


それは家元制自体の問題ではなく、個人の性格の問題です。


そもそも家元制は芸の伝承形態として作られたもので、家元をトップとした(創始者の芸より今の家元が上になります)、家元の芸を同一性として伝えるシステムですが、

今は家元をトップとして周りが家元をささえる商システムとしての意味合いも加味されました。




音楽教室は

「うちの広告費で取った生徒だから、直接連絡しないように」

「自分の生徒さんの発表会等には呼ばないように」と釘を差すところが殆どです。

この先生だから、と、ついてる生徒さんが殆どなのに、、

家元制では、自分の生徒は家元の生徒ではなく、自分の生徒。

音楽教室・カルチャーセンターの方が、

よっぽど独占欲が強く囲い込んでいて、

締め付けが厳しいワケです。

お弟子さんのレッスン料から、

6割以上も中抜きするなんて、

どこの家元制でも聞いた事ありません。


全うな音楽教室でも

6割は運営会社に払っているワケです。


そうです。カルチャーや

音楽教室は教えてもらってもいない事務員の給料や

直接指導とは関係ない待合室などの設備、

他の人を囲い込む為の広告費に

延々と高いお金を払っているようなものです。


家元制を否定して楽器も無料プレゼントという教室では、

結局のところ、どこで収益を上げるかというと、レッスン料を高くするしかなく、



レッスン料が業界一高いです。

(参考月謝 

個人教室 8000〜10000円 
音楽教室 13000円 
家元制否定無料プレゼント教室16000円、

当教室 月2回 6600円 キャンセル料無
(免状も勧めておりませんので、名取は妻一人です。)

津軽三味線の名取システムが無い教室で、一回の月謝が4〜5万というところもあります。
結局 経営的に名取制度を無に利益を求めようとすると、授業料を高くするしかないワケです。

そうするとお金が無いけセンスのある人。は習えなくなり、結局のところそういう人には安いコースを用意したり、逆に不公平なことになっています。


それもデメリットの一つです。

また「流派を超えて」「自由気まま」等のうたい文句で
家元制流派を公式に否定いる津軽三味線サークルなどもありますが、そういうところでも


「自由な集まり」と言う割に会の曲を作って外に出すなと

規制をかけていたり、規約があっても一切守っていずにトラブルの原因になっている会や、

そういうところからブログ削除お願いしますと来たこともあります。

こちらはJASRACに許諾を得て使っているにも関わらず、
流派を超えた団体 から
「吉田兄弟の曲を勝手に出版するな、盗られた」と生徒を含め誹謗中傷されたこともあります。

 

私の所属している小山流では楽譜を公刊していますから、

誰が弾いてもいいワケですし、

どの家元先生からも

「ブログのコメントを削除しろ」なんて言われたことはありません。

家元制→敷居が高くて制限がある

流派を超えた→自由で気楽

なんてのはただのイメージで、

むしろそういうコミュニティの方が制限が多いのです。




家元制の「礼儀」というのはお互いに嫌な思いをしないためのものなのです。


後は良くある「流派を超えて」「障壁を超えて」といううたい文句ですが、

当教室は小山流所属ですが、

他の流派である澤田流との合同発表会、外部講師を呼んでのワークショップ等しています。

「流派の障壁」、、いつの時代のことを話しているのでしょう??




家元制におけるメリットの具体例を挙げると家元制に置いて「演奏する際にお伺いを立てた方がいいですか?」と

家元先生に聞いたところ

「別にしなくてもいいけど、言ってくれると、お世話になってます。って言えるからね。」

という言葉を頂きました。

家元制における礼儀というのはこのように本来人と人とのつながりを円滑にする為のもので、

何かを規制するものではありません。

家元制からは何ら嫌な思いなどしたことがありません。

逆に「津軽三味線は自由なものだ!」「しきたりメンドクサイ」等と人間関係を円滑にするための礼儀 を否定して色々なところでトラブルを起こしている人もいます。

なおか演奏の際、師匠にお伺いを立てる。的なことは、
芸大のバイオリン科でもあることであり、日本文化家元制に限ったことではありません。

家元制=メンドクサイ 日本の保守の権化 等は何も知らない人が言ってるだけのことです。

きちんと言えば「OKだよ」と一言言って終わりです。

逆に言えばサークルの規約と同じ程度かあるいはそれより緩い規約があるくらいです。

家元制は、経済学的に言えば、ライセンスビジネスです。

お弟子さんが師範を取れば、名取が出せます。

半分は本部に行き、半分は支部の先生に行くのが一般的です。

そうすると三味線で生活するのも少し楽になります。

個人教室で月謝1万円、普通の先生は30人程度生徒さんがいればいい方ですから、

30万のうちから教室家賃・楽器維持費・を除いたら家族も養えません。

月謝だけで食べていける相場にはなっていないのです。

名を与えるということで、弟子の生活を保障したワケです。

これが無いと、技術は与えるが、

先生は弟子の 生活の保障はしませんので、後は

自分で勝手にやってください、


ある意味無責任とも言えます。

家元は先生・教室のトップ・ロックスターがいい車に乗っているのにあこがれてその世界に入るように、

その世界のトップは、いい車に乗っていい家に住まないといけないのです。

 

家元制を批判して流派を超えた会を作って家元化、という話は

日本文化には良くある話ですし
(茶道 日本茶道学会 、長唄三味線 東音会 箏 沢井箏曲院)

そもそも団体を作ってトップがいる時点で団体のトップは家元と同じ扱いです。

教授産業において流派というのは不可欠な存在なのです




私も合気道を趣味で10年以上やっておりますが、これだけ長く続いたのは

「免状システム」があったからです。

プロになるワケでも無く、大会で賞を取るワケでもなく、そういう方が続くには

やはり免状システムが必要だと考えます。

免状は当会では自由意志ですが、

免状を取らないというのは、

武道で言えば「ずっと白帯」みたいなものです。

 

親の介護でずっと続けたいと思っていた三味線を辞めざるを得なくなった。

という方も沢山いらっしゃいました。

「そんなに金のかかる趣味ならやめろ」と言われたそうです。

しっかり免状を取ってプロとして活動していれば

「仕事です」と言い張れますので

辞めなくて済んだハズです。

何故50万と高いのか、これに関しては文化的価値に関する話で、あまりに安いと文化的価値が無いとみなされるから。と答えておきましょう。

例えば黒帯の登録料が10円だとしたら?
安っ!と思うでしょう。

蚤の市で売っているような茶碗でも、
鑑定団で50万!と言われたら
見る目が変わることを考えたら分かるでしょう。

10円で取れるものは10円の価値、

50万円するものは50万円の価値に見えるわけです。

 

またコンサルやコーチング等は10万〜50万円ととても高額ですが、

何故その値段なのか、説明できる人はいません。

 

思うに昔は日本全体が裕福で、趣味にかけるお金があったのでしょう。

半分入ってくるとすれば、弟子で

5人免状を取る人が出れば元が取れる計算です。

50万円でも5人以上は弟子が普通に免状を取るのが普通だったので元が取れた。ということでしょう。






コンビニ、ディズニー等ライセンスビジネスは 誰もが消費者として恩恵にあずかっているはずです。

日本文化にかかわる人は「確実に」

家元制の恩恵にあずかっているのです。

家元制に属することによってかかわる人が経済的に豊かになり、

したがってお金を使うばかりでなく稼ぐことができ、

 

習い事を継続できる。そういうシステムなのです。

家元制が無い教授産業は、元々お金のある人か、家族の他の誰かがお金がある人、

自分で演奏から運営まで、

やっていける一部の実力のある人、

そういう人しかやっていけない世界になるでしょう。

事実、当教室は 実家の一部屋を格安で借りて、月給は16万に切り下げ、何とかやっているだけです。

 



さぁ、それでも家元制は敷居が高い、お金もかかる 非合理なだけのものだ、

と思い続けるかどうかは、あなた次第です。

 

マルチ商法と家元制度は真逆のシステム

ビジネスとのしての家元制を

「ネズミ講と同じ」と
たまに言う人がいましたが、

これは単なる法律知識の欠如で、

ねずみ講-違法
家元制-合法

になります。

 

ねずみ講 は 無限連鎖講という言葉もあるように、ヒエラルキーが無限に続きます。

 

家元制 =有限連鎖
ねずみ講=無限連鎖

になります。

家元制では 玄孫くらいまでの会員しかいませんが、ねずみ講は無限に連鎖が続き、

下の人が上には絶対行けないので違法になります。

 

逆に言うと家元制でも無限連鎖にすれば

法律に違反するのです(実質は技術の習得に時間がかかるので無限連鎖にはできません)

あえて言えば、家元制もネズミ講も親が一番儲かるのは同じですが(ですからある程度流派が大きくなると独立する方もいます。)

現場で稼いだお金を上が吸い上げるのは似ていますが、それは従業員がいて経営者がいれば全てがそうなります。

普通の企業と全く変わらないのです。

資本主義でシステムが成熟するとそうなるので、これは資本主義自体の問題としかいいようがありません。

ヒエラルキーを否定するのであれば社会主義に鞍替えするしかありません。

親が子に、子が孫に、というところは確かに似ています。それは弟子に生活をシステムを与えた、ということでいい面もあるのです。

 

マルチ商法と家元制の違いですが、

全く違うとしか言いようが無く、どこが同じなのか教えてほしいくらいです。

マルチ商法=商品売りつけてくる

家元制=試験を受けないと免状が取れない。

また「ノルマがあるか、ないか」「売りつけるか、試験があるか」

の違いでしょう。

家元制で 免状何人出せ等 ノルマがあるのは聞いたことがありません。

マルチ商法はノルマがあるので
色々違法まがいのことをして売りつけようとしますが、

家元制は試験に通って許しを得る形で、試験に通らないと免状はもらえません。

ただマルチ商法は先に述べた有限連鎖で、下の人間が上に行ける可能性もあるので合法になります。

名取をどうしても取りたいが楽譜が覚えられない生徒さんがいて「楽譜見ながらやっていいですか」と聞きましたが

「ダメですね〜」

でした。

ただの集金システムという批判があるならば、

OKに決まっているワケです。

 

そこが一番にして真逆ともいえる違いなのですが、あまり良く調べもせず言ってくる方、批判精神から同じもの。と条件反射的に言う人が多いのと、どこにネット上に描いてなかったのでここに書いておきます。

 

私は一度もどこの家元制(過去に茶道・琉球民謡協会・現在合気道・津軽三味線に所属)からも免状を取れと言われたこともないし、生徒にも現在全く勧めていません。

モチベーションを上げる為に取りたい人は取ればいい、という考え方です。

 

マルチ講が必死になって会員を増やそうとするのと真逆なのがお分かりかと思います。

https://www.eys-musicschool.com/sp/article/iemotoseido.php

インターネットによって家元制度の「優れた」と評された部分は、全て無意味になった。

との記述がありますが、

これは武道が家元制であり、今でも国内外で何百万の沢山の黒帯を排出し続けていることを知らない単なる勉強不足です。

無意味になったのなら何故今でも和楽器界でも沢山の名取・師範・(ある流派では1年に50人程度) 武道界でも大量の黒帯 が出ているのでしょうか。

ネットで調べればすぐ出てくるようなことすら調べず、イメージで書いたのでしょう。

>高級な紋付はかま姿の家元が、豪華な日本邸宅に住んでいる……そんなイメージや妄想がついつい頭に浮かんでしまう。

普段から袴履いて歩いてるワケないじゃないですか笑 茶道の家元もお稽古では着流しですし公の場ではスーツ。あんな階段の上りにくいものをはいて生活してるワケありません。

 

外国人が「忍者やサムライはまだいるのか」と聞いてくる同じレベルの人が批判しているのです。せめてもう少し勉強してから書かれることをお勧めします。

そしてここの会社は「のれんわけ」システムを始めました。 自分が動かなくてもいいシステム、ライセンスを売る。家元制と全く同じであることに気づいていません。

結局資本主義はそこに落ち着くんです。

家元と言っても色々いますから、
本当にライブ感覚で気軽に来てくれる人、きちんと謝礼をお支払いする人、色々います。

私が所属していた茶道の家元は「うちは月謝と免状代だけではやっていない、先祖代々の土地にマンションを建て、その賃料でやっている」

とおっしゃっていました。

勿論裏千家さんのように家元の稽古料5万、日本舞踊のように師範になるのに数百万かかるところもありますが、

家元制に所属せず個人でやっていても津軽三味線で月謝5万円を取ってやってらっしゃる方もいて、

十把ひとからげに「家元制は金持ち」というのが既に単なる勉強不足によるイメージに過ぎないのです。

 


津軽三味線では「津軽の芸に師匠はいない」という考えもあり、

師範制度よりも「津軽三味線大会受賞歴」の方が幅を利かせている為、

取らない人も多いのですが、これはお笑い界を例にとると分かります。

コンビ結成10年で売れなければ大体解散するお笑い界。

真打という制度があって還暦すぎても続けられる落語界。 どちらが安定したシステムでしょう?

津軽三味線の大会の優勝者は殆どが若い人です。例えば40才から初めて A級で優勝するのは絶対あり得ません。

若い頃に活躍しても、年を取ると実力が衰えてだんだん手は回らなくなるものです。

家元制は、長くいれば必ず上に上がれるシステム。賞レースは非情にも年を取ればだんだん順位が下がっていくシステム。

若いころは家元制くそくらえでいいですが、
年を重ねれば、何故そう言うシステムができたのか、メリットが分かってくるようになります。

 

家元制への批判は多くが

家元制に入ったことない人がイメージで語っている

家元と個人的なトラブルで辞めた人が弊害ばかりを吹聴している

だけであることもお分かりでしょう。

昔の師匠と弟子というのは、結婚の世話などを含めた ある意味家父長制的な、

濃い信頼関係のつながりを作ってから、免状を取ってもらう。ということがあったのですが、

信頼関係が出来る前、あるいはお金の無い人にお金の話をされたら引くのは普通の電話営業でも同じです。

マルチ商法もきちんとやっている方は、信頼関係を構築した上でやっているようです。

 

確かに昔は勘違いしている先生もいらっしゃってトラブルがあったことも聞きます。

それは個人的な人間関係の問題であり、

家元制の善悪とは全く関係が無い。

なおかつ家元制が日常に根差していて、今ではトラブルを起すような人は淘汰されいいところだけ残った。

と言っておきましょう。

 

免状は実力を表したものではない。

免状は実力を表したものだと勘違いし、「何故飛び級がダメなんですか」

と言ってきた方がいます。

実力を表したものであるならば、柔道金メダルが10段で、年を取るごとに段が落ちて行かないといけません。

免状はそれに向けて頑張ってください、という意味合いやその芸道に対する貢献度なども含まれているのです。

私も唄付けも出来ないころ名取を取り、名取だからと出来ると思われて仕事を振られたら出来なくて一生懸命練習して出来るようになった想い出があります。

また剣法の奥義の許しには
金許し・義理許し・術許しの三つがあり、

金許しは多額の金子を受けて
未熟と知りつつも免許を与えるもの

義理許しは主従のあいだまたは何かの情実のために
剣技充分ではなくとも免許を与えるもの

旧知であるため与えられた義理許しである。

 

というのは有名な話です。

金銭的に余裕のある方は先生をささえる意味でも 高額を払って 先生の生活をささえ、技術の向上、また先生のブランド化によって 自己研鑽の励みにしたワケです。

 

 

 

おまけ 

友人に

「君は今 、家元?」と聞かれた。

「そんなワケないだろ」

と答えた。

彼はどうやら

「親元に住んでるかどうか」を聞きたかったらしい。 というウソみたいな本当の話。