じょんがら節
 

じょがら節の名は南津軽群浅瀬石(あせんし)村を通ずる汗石(あせし)川の上の方sに上河原(じょうがわら)と呼ぶ所があり、慶長の昔大浦為信に滅ぼされた浅瀬石の城主千徳政氏の墓地があったが、津軽藩で土地開墾の為、墓地をあばこうとしたのを、菩提寺神崇寺(じんそうじ、今の長壽院(長寿院、ちょうじゅいん)の僧、常縁(じょうえん)が反対して藩士の怒りを買い、遂に追われて上河原の深洲に身を投じて節を全う(操を守り通すこと)したので、以来村民は、常縁河原と呼び馴らし、追悼の為唄いだした口説風の唄がすなわち常縁河原(じょんがら)の語源というのである。

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じょんがら新節
(陸奥国青森市)
じょんがら新節

じょ
んがら旧節
変遷その1 (陸奥国北津軽郡嘉瀬村)

nakabushi
じょんがら中節変遷その2 nakabushi
じょんがら新節変遷その3 shinbushi